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スローワーク論
（ノート） |
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金銭は、その侵入するところ、
いっさいの原動力を駆逐して
金儲けの欲望をのさばらせ、
もろもろの根拠を破壊する。
（『根をもつこと』山崎庸一郎訳）
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（シモーヌ・ヴェイユ『根をもつこと』春秋社刊）
○資本主義の達成と変容
ところで、高度資本主義社会では、二つのことが達成された。
一つは過酷な肉体労働の軽減。
彼女が置かれたアルストム、ルノーの工場（シトロエン工場でもよい）で当時あった過酷な労働とその環境は、今日改善され大幅に軽減されている。むろんまだ厳しさを失わない職場もあるが、彼女が受けた過酷さとは違う質のものになっている。
わたしたちは、許されるなら無理に過酷な労働を担う必要はないし、そこで無理を強いればそれはラディカリズムの転倒につながる。
そのうえで、なお彼女が肉体労働を志向し、知的労働以上の価値をそこにみようとした意味が失われていないのは、肉体労働が人間存在の被規定性（ヴェイユ風にいえば神への服従）をより露わにするととらえているからだ。
もう一つの達成は、食えるようになったということ。生活必需品は確保できるようになった。
吉本隆明さんは『甦るヴェイユ』で「資本主義は数々の悪行もやったが、すくなくとも労働者の窮乏からの解放は、先進資本主義は少しずつ自然にソ連邦的な「社会主義」国家よりはやく解決していったといえよう」と書いている。そのとおりで、それが「社会主義」国家を崩壊へと追いこんだ。
だが、それは資本からみれば、自己を増殖させるために、生産物を購入してくれる存在をどうしても必要としていただけにすぎないともいえる。
もちろん、購入してくれる存在＝「消費」者がちゃんと購入してくれればいいし、それで食うに困らない状態になったのだからいいではないか、社会がそれで回っていればいいではないか、とそこで思考を閉じることもできよう。
しかし、そのようにしてまわる資本の自己増殖と製品購入、消費はつねに増大させていかなければたちゆかなくなる。消費をさらに刺激し、どうじに購入者を確保しておかねばならない（生かしておかねばならない）。
資本制はたしかに労働の肉体的労苦と食えない状態をかなりの程度、脇に追いやることができた。そしてこれは大きなことだ。だが、かわりに自己増殖速度を上げることで、労働者に心の労苦と病いを強引に生みださざるをえない。労働と社会の不幸はかたちを変えただけだ。
いい方を変えれば、ルサンチマンのフィルターで「搾取」や「資本家階級」に資本制の「悪」をみいだすことに問題の本質があるのではなく、資本がスピードを上げる自己増殖運動が不可避に強いる転倒と、それがもたらす心身の病いの変容が露わになってきたということだ。
○労働と正面から対峙したヴェイユ
こうした高度資本主義社会の到達点に立っても、いまでもヴェイユさんの労働論でたいせつと思われることは二つある。
一つは、人間が働かなければ生きてゆけないという定めを負っていることを素直に受けとめ、かつ、その定めを全身をもって全うすること（労働）を最高の価値ととらえたこと。これは西欧思想史のなかでは珍しいことだ。
プロテスタントは寸暇を惜しんで労働に励むこと（禁欲勤労）を「天職」として称揚したが、これは蓄積を至上として自己増殖する資本制を支えることになっていて、ヴェイユさんの論とはまったく異なる。
もう一つは、転倒する労働の不幸は社会の不幸にほかならない、つまり労働のありようの問題解決をめざさずに、社会問題を語ることの無意味を指摘していることだ。
労働者は、「殆んど他人の知性によって操作されている物体の役割を演じ」、「耐えがたい隷属を甘受し」、諦めの境地に達する。ヘーゲル的な奴隷と主人の関係のダイナミズムすら閉ざされてしまった労働者の実態をもみていた。自分、そしてそこから一生抜け出せない労働者たちの極限の境遇を骨身に滲みて体得したヴェイユさんは、党派の「革命」幻想を厳しく批判しつつも、工場（職場）の改善をけっして蔑視することなく、「いま・ここ」をどう生きるかを必死で模索した。
労働の場（職場）から逃れることはできないし、逃れるべきでもない。なぜならそれが社会を形成しているかだら。その変革なくして労働者、そして市民が自分を取り戻すことができないからだ。労働の問題こそもっとも本源的な問題である。
そのうえで彼女は、服従による絶対的な救いを信の世界にみたが、どうじに、農の自然的サイクルにある恵みをも素直に受け容れようとした。
こうして労働が直面する本質的問題と彼女は向きあった。だが、課題は残されたままだ。その考察を深く掘りさげることなく自己存在を抹消してしまったから。
○ヴェイユの原点と現在
ヴェイユさんは、二〇代前半にル・ピュイ、オセール、ロアンヌの教壇に一年ずつ立っているが、ロアンヌ時代に哲学講義を受講した生徒がまとめた記録が残されている。『ヴェーユの哲学講義』。工場労働に汗まみれる前のことだが、そこには彼女の原点ともいうべき考え方が示されている。
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賃金労働者たちは売買され価格がつけられるゆえに、労働市場においては物として扱われます。
（『ヴェーユの哲学講義』渡辺一民・川村孝則訳）
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まず労働力の商品化についておさえる。資本制批判のひとつの要である。
一方すでにこのころからマルクスの神話的性格を批判している彼女は、カント哲学を踏まえ、抑圧について、次のように定義している。
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<抑圧>の定義 それは<カントの原理の否定>です。すなわち、<人間がそこでは手段として取り扱われているのです>。
（『ヴェーユの哲学講義』渡辺一民・川村孝則訳）
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素朴だが、社会批判の原点とされるべきことが語られている。
さらに、経済生活の歴史を辿ったところ。
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いまでは、お金は、銀行に入れておきさえすれば、私たちが何も働かなくてもひとりでに利潤を生んでくれます。これはまったく変なことです。どうしてそんなことがありうるのでしょうか？ 初期の経済学者たちは、利益は商取引によって生じると考えました。物をその価値以上で売りさえすれば、盗んだり働いたりしなくても金が稼げるというのです。
（『ヴェーユの哲学講義』渡辺一民・川村孝則訳）
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このように、ロアンヌのリセの生徒たちに語りかけている。
ところで、「初期の経済学者」だけでなく、今日の官学「経済学者」も利益は商取引によって生じることが原点だとしたうえで、「自由」を護るため資本制を擁護する。
そして今日の「経済学者」は、差異が利益を生むのであって、「労働価値説」が成立しない以上、（額に汗して）働くことは倫理でもなんでもないと語る。つまり、「経済」や「経済学」上で労働価値説が無効なら（その是非はおいておくが）、あるいは労働が「利潤」を生みださないのなら、現実の労働（活動）は社会において倫理でもないし、価値がない、と「経済学者」は言う。他人が価値として使う生産物を生みだしても、「利益」をもたらさないなら、労働には意味がないとされる。人間存在の活動がすべて「経済学」の利益に収斂される。「利益」が至上の「経済学」で人間存在や全世界をすべて覆えるものと確信している。なかなかに恐ろしい認識だ。
たしかに今日「経済」がすべてを覆っているようにみえる。そう人間は強いられている。だが、「利益」は「経済」「経済学」上のことであり、人間存在総体を覆えはしない。「経済学者」に、（額に汗して）働くことに倫理を見いだしてもらわなくてもよいが、それを「経済学」の領域を超えた世界のことのように語られるのは迷惑なことだ。
この「経済学者」は、（他者を手段として扱わざるをえない）資本制にこそ「自由」があるとしたうえで、ヴェイユさんと同じくカントの定言命法を指針として掲げるが、労働の現実を直視しない「経済学」の戯言としか思えない。「経済学者」の理想は、価値のない労働をせずに先物市場で利益を吸いとって、生産者と消費者に多大な犠牲を強いて、他方現実生活と関係のない天上で、カントの「他者を手段化しない定言命法」を唱えて自慢する姿になる。
こうした二一世紀の「経済学者」より、実際の労働の場にこだわりつつ、人間が手段として扱われてしまう事態を少しずつでも、あるいは垂直的に変えていく道を必死で模索したヴェイユさんのほうがずっとまともである。
二四歳のヴェイユさんは、同じ講義でこう語った。
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私たちのしたがうべき理想は、<協働>、すなわち<労働の交換>です。それこそ人間を目的として扱うというカントの倫理法則に一致する、個人と社会の関係のとる唯一の形態にほかなりません。
（『ヴェーユの哲学講義』渡辺一民・川村孝則訳）
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カントの影響を大きく受けていた若い時代の言であるが、労働（活動）に倫理や価値なんてないとする「利益」至上主義の「経済学者」が掲げる「骨抜きカント主義」よりどれほどまともなことだろうか。
（2009.11.16）
（シモーヌ・ヴェイユの項、おわり）
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